更新日:2024年1月17日
現代の日本人は塩分の取りすぎが問題となっていますが、塩分不足でも食欲不振、頭痛や吐き気、筋肉のけいれんなどを引き起こしてしまいます。
旧石器時代や縄文時代のような狩猟・漁労を中心とした時代では、動物の肉や魚介類、海藻から自然と塩分を摂取すれば事足りていましたが、コメなどの植物質の摂取が増える弥生時代以降では、塩分が不足してしまい、自分たちで塩をつくる必要性に迫られました。
ここで、みなさんが思い浮かべるのは海水を煮詰めて塩を取り出す方法ではないでしょうか。
しかし、海水中の塩分濃度はわずか3%程度なので、必要な塩を採取するには途方もない時間と燃料の薪が必要です。そこで古代の人々が注目したのが海藻でした。夏場などは海藻を桶に取った海水に浸し、浜に広げて乾かすとあっという間に水分が蒸発して塩の結晶が付着します。
これを桶の海水に浸し、また乾かすを繰り返すことで桶の海水の塩分濃度を20%ほどまで高めます。最後に海藻を焼いて海水に混ぜ、不純物(灰汁)を取り除き、熱効率の良い塩づくり専用の土器(製塩土器)で煮詰めることで効率よく塩を作っていたのです。
このような「藻塩(もしお)焼き」の様子は『万葉集』にも多く詠まれ、福岡市海の中道遺跡の調査では藻塩焼きの存在が明らかとなっています。
宗像市内でも、製塩土器が主に沿岸部で時折発見されます。神湊にある隣船寺(りんせんじ)周辺の神湊上方(こうのみなとかみがた)B遺跡からは火を受けた古墳時代の製塩土器の破片が見つかっていることから、この地域での塩づくりが考えられます。塩そのものは全く残りませんが、製塩土器は古代の塩づくりの歴史に迫る手がかりとなります。
今でこそ私たちの生活の中で身近になった塩ですが、古代の塩づくりには太陽や風など自然エネルギーを生かした先人の知恵と工夫が込められており、現代の私たちが思うよりもはるかに貴重なものでした。
(文化財職員・西依)
製塩土器煮炊きイメージ
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