更新日:2024年1月19日
日本に火葬が広まる以前の古墳時代のお葬式は、まず一定期間遺体を安置し祈る「モガリ(死者の最終的な死を確認する)」を行います。次に遺体を墓へ運び、被葬者を黄泉国(よみのくに)へ送るために飲食物を供える「ヨモツヘグイ」を経て、黄泉の国へ行った死者とお別れするための儀式「コトドワタシ」を墓の入口で行い、一連のお葬式が終了します。
ただし、これらは『古事記』や『日本書紀』に記述されていますが、宗像地域でこれを裏付ける例は見当たりません。ただ、葬式後に行う儀礼の痕跡をよくとどめている例ならばあります。それが宗像市須恵須賀浦遺跡の横穴墓です。須恵須賀浦遺跡からは人骨が多く発見されました。なかでも注目されるのはSL75横穴墓で、人骨の関節が意図的に外され、供えられた土器を逆さにして、その上にウサギの大腿骨が載せられていました。関節が外せるほど白骨化した段階で行われているので、被葬者の死後かなりの時間を経ての儀礼だと分かります。
現代的には遺体の棄損ともいえる行為ですが、実はこれも儀礼の一環で、これらを「断体儀礼」と呼びます。諸説ありますが、死者の再生を阻止し、黄泉国にいる先代家長が新家長を守護してくれることを願い行われたとされます。
このように、当時の日本は現代とは全く異なる、想像もつかないようなお葬式が行われていました。死者をしのび、哀悼するのはいつの時代も同じですが、古墳時代の人々の葬送儀礼の多様さは、深い死生観のあらわれともいえるでしょう。
(文化財係職員・太田)
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