更新日:2022年3月29日
貨幣経済の復活
前回は、7世紀後半から始まるわが国の貨幣制度について話しました。しかし、発行当初からのニセ金の流布や金融政策の失敗で、国家は10世紀中頃には貨幣経済をあきらめてしまいます。だからといって民衆はさほど困ることなく、これまで通りの絹布や稲モミなどを交換単位とした物品貨幣で事足りていました。
ところが11世紀頃からは中国・宋との民間貿易が盛んになり、それとともに国際的な決済手段として中国で発行された渡来銭が大量に日本へ流入することになります。図らずも流通現場の要請によって、古代国家が成し得なかった本格的な貨幣経済が到来するのです。
備蓄銭の流行
この頃から貴族や豪商・有力武士の中には大量の銭貨を蓄える者が現れ、壺や甕などに収めて地下に埋納する風習が流行します。「備蓄銭」「埋納銭」などと呼ばれ、数千枚から数万枚、中には数十万枚も出土した例もあります。いわば地下を天然の金庫として埋められたものが、いつしか忘れ去られたのでしょう。
市内でも戦時中、大島の安昌院境内で防空壕を掘削中に発見された例があります。残念ながら大半は政府に銅素材として供出してしまいましたが、幸いにも銭貨を収めていた壺とサンプル76枚が残され、室町時代の前半期(14世紀後半~15世紀前半)頃に埋められたことが分かりました。
このことは、宗像氏の庇護下にある大島においても中国を中心とした巨大な東アジア貿易圏に含まれ、決済手段として銭貨を用いる商業活動が行われていた証しといえるでしょう。(文化財職員・白木)
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