更新日:2021年7月29日
壱岐島は、中国の史書『魏志(ぎし)倭人(わじん)伝(でん)』に「一支(いき)国(こく)」として登場します。国では米の収穫量が少なく、交易で生計を立てていたとあり、漁業と海運業が生活基盤であったようです。
邪馬(やま)台国(たいこく)への行程に記される国々の中では唯一、国の場所と王都が特定され、原の辻(はるのつじ)遺跡(長崎県壱岐市)がその王都と考えられています。発掘調査では、中国大陸や朝鮮半島から最先端の文物を取り入れる玄関口として、弥生時代(紀元前3世紀から紀元4世紀)を通して栄えていたことが分かりました。集落跡や船着場跡が見つかったほか、国内外から持ち込まれた土器や中国の貨幣・銅鏃などの貴重な金属製品が出土し、国の特別史跡として整備されています。
また、原の辻遺跡ではココヤシを加工して作成された笛(写真下右)が見つかっていますが、これは宗像地域とも関係の深い遺物です。ココヤシ笛をルーツとする弥生時代の土笛(写真下左)は、宗像地域を西限とし、東は関門地域を経て丹後半島付近までの日本海沿岸部にほぼ限定されて見つかる特異な遺物です。土笛は単なる楽器ではなく、同一の祭祀(さいし)文化を共有する集団間の強いきずなを示すものと考えられていて、日本海沿岸部には海人のネットワークが存在したようです。
玄界灘から日本海にかけての海人たちは、互いに情報や文化を共有し、漁業と海運業にいそしむ、いわば海のスペシャリストとして活動していたのでしょう。
(文化財職員・白木)
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