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時間旅行ムナカタ第79回「大島の神崎層(古代三系)から貝化石の発見とその意義」

更新日:2021年7月29日

『新修宗像市史』自然部会から

自然部会では、宗像の歴史の基盤をなす自然環境を地理や地質、生物などの領域に区分して調査し、原稿執筆を始めています。今回は地質領域から、宗像の海に関する新発見を紹介します。

 

これまで考えられていた神崎層の年代と環境

大島の北側海岸にある大島灯台付近とその東側に、神崎層という砂岩や礫岩(れきがん)でできた地層が小規模に分布しています。島の観光スポットである「馬蹄(ばてい)岩」はこの地層の一部にみられます。これまで、神崎層は大島の基盤をなす関門層群(約1億年前)よりは新しい地層であることは分かっていましたが、形成年代や堆積環境を示すような化石が見つかっていなかったため、岩相的に類似する宗像層群に対比されていました。宗像層群は宗像市内の丘陵部に広く分布し、かつては宗像炭田として石炭を産出していた古第三紀始新世の地層群です。つまり、神崎層は宗像層群と同様に、約4千万年前の陸成層と考えられていました。

 

新たに発見された貝化石の正体

 

  • 写真1
    (写真1)貝化石が発見された神崎層の露頭

 

ところが、2年前に市史編さんのための地質調査を始めた私たちは神崎層から貝化石を発見しました。発見現場は東側ブロックの東端の断崖絶壁になっているところです。現場までは遊歩道から険しい崖を下りなければならないので、アプローチは大変です(写真1)。ここでは神崎層全体の厚さは25メートル程度で、下限から4メートル上位に厚さ2メートルの暗青灰色の礫まじり砂岩層が挟まれています。貝化石はこの層に散在して含まれています。崖をよじ登って探すのは危険なので、そこから剥がれ落ちた転石中から採集しました。

 

 



 

  • 写真2
    (写真2)二枚貝化石(下の正方形の一辺が1センチメートル)

 

貝化石は保存が悪く、殻は大半が溶解しており、茶褐色や暗緑色の型が残っているだけです(写真2)。一部は変形が著しく化石種の同定を一層難しくしています。今までに二枚貝化石20個体余りが掘り出され、少なくとも4種には区別できます。タマキガイ類、大型イガイ類が含まれることから、浅海生の貝化石群とみられます。タマキガイ類は4個体以上産出しており、多産する傾向が読み取れます。この傾向はキッシュウタマキガイを多産する芦屋層群に類似します。芦屋層群の本体は遠賀川よりも東側に分布しますが、大島の南方約10キロメートルの福津市渡半島には芦屋層群基底の山鹿層がみられ、暗青灰色の礫まじり砂岩など岩相的にも類似性があります。現段階では、神崎層は山鹿層に対比される漸新世前期末(約3千万年前)の海成層とみなすのが妥当と思われます。

 

 

 

 

日本海形成の謎に迫る(?)貝化石

神崎層から海生貝化石の発見という新事実はそれ自体に意義がありますが、「日本海の形成・成立」という大テーマにも関連する可能性が高くなってきました。日本海は日本列島が大陸から切り離され、開いた溝に北側から海水が流れ込んでできたとされます。2千5百万年前頃に始まりました。約1千5百万年前から本格的に拡大し、暖流が流れ込むようになって現在の形になったとされるのです。神崎層や芦屋層群の存在は、これに先行して3千万年前に九州北部で発生した地溝帯に南側から海が侵入したことを示しています。このできごとは日本海形成の前兆現象とみなされます。さらには、対馬暖流流入の準備は既に整っていたことも暗示されます。この問題の解決にはさらなる検討が必要ですが、「沖ノ島の地質」が鍵を握っていることも分かってきました。

(新修宗像市史編集委員会自然部会・鈴木清一)

 

 

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