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時間旅行ムナカタ第74回「近世宗像の鶏肉・鶏卵の食文化誌」

更新日:2021年7月29日

「吉田家家事日記帳」にみる江戸時代の食文化「新修宗像市史」近世部会から

近世部会では、江戸時代(1600から1868年)の宗像地域(宗像郡)を中心に地域に残る江戸時代の古文書や記録類、「宗像郡誌」など郷土資料の調査活動をしています。今回は、今年の干支・酉(とり)年にちなみ、江戸時代の記録から、宗像の鶏肉・鶏卵の食文化について紹介します。

 

宗像郡の養鶏業と「筑前卵(宗像卵)」

江戸時代の宗像は、黒田氏が治めた福岡藩領・筑前国宗像郡でした。とくに、福岡藩が藩の専売品として芦屋や黒崎、博多などの鶏卵会所・鶏卵問屋(鶏卵仕組)を通じて、大坂(現在の大阪)方面に出荷した鶏卵(筑前卵や宗像卵)の産地、養鶏業が盛んな地域としてよく知られています。

宗像大社の境内・拝殿の横には、その歴史を物語る、赤間や神湊、芦屋など筑前国内の「鶏卵荷主中」や大坂の「鶏卵問屋中」など、江戸期から鶏卵の取引・流通に関わっていたと考えられる商人たちが明治12年(1879年)に寄進した灯籠が残っています。

 

「吉田家家事日記帳」にみる食文化

江戸時代に宗像郡陵厳寺村(現在の宗像市陵厳寺)の庄屋を勤めた吉田家の日記帳は、幕末の宗像地域の農村や民衆の生活文化を知る上で手掛かりとなる貴重な史料です。とくに、庄屋家の日々の業務や地域経営、農事や作事、年中行事や地域の祭礼、人生儀礼や交際・交流、寺社参詣や通交往来、災害に至るまで豊富な地域情報や日常生活の様子が記録されています。

豊富な鶏・卵料理の記録

日記には、鶏料理は「いり鳥(鶏)」「鶏の煮しめ」「鍋焼」「鶏皮と大葱のすまし汁」「鶏飯」など、卵料理は「卵ふわふわ(ふわゝ玉子)」「あわ雪玉子」「玉子吸物」「落玉子の吸物」「大平・椎茸や豆腐の玉子かけ」「茶わん・玉子すり(茶碗蒸し)」「玉子厚焼」「丼・猪口しょう油・生玉子(卵かけご飯)」などが書かれています。いずれも行事や祭礼などハレの日の特別な食事の献立・ごちそうとして出てきています。

鶏はお歳暮・贈答品

日記の記述には「鶏壱羽を歳暮で贈答していたこと」とあり、鶏(肉)が贈答品・貴重品であった様子もうかがえます。また、「鶏は手元(家庭)の有合(ありあわせ)で準備すること」「鶏買・調達に各家を訪問・往来すること」「鶏生身を赤間役場に持参」などの記述もあり、家庭・地域での調達も含め、宗像地域では鶏肉が流通していた様子もうかがえます。

 

郷土料理「かしわのすき焼き」

現在の宗像周辺では「かしわのすき焼き(鶏すき)」などの郷土料理もよく食べられています。「宗像卵」の名残で養鶏業・卵の生産も盛んで、卵を産まなくなった廃鶏(親鶏)を食べることから始まったと考えられます。

先人たちが残した記録や足跡などから、ふるさと宗像の歴史・文化をひもとく手掛かりが得られ、地域の食文化や風習などとともに将来に受け継ぎたいですね。

(新修宗像市史編集委員会、近世部会長・竹川克幸)

  • 宗像大社境内に残る鶏卵問屋商人の寄進灯ろう、左上は拡大写真の画像

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