更新日:2021年7月29日
『新修宗像市史』原始・古代部会より
原始・古代部会は、主として紀元前数万年の旧石器時代から縄文・弥生・古墳時代、そして奈良・平安時代までの大変長い期間を対象としています。そして、それぞれの時代の遺跡や出土品の情報や古代の文献などから歴史像を構成していきますが、宗像地方には特色のある遺跡が大変多いといえるでしょう。今回は、縄文時代の石器についてです。
ヤマト王権以前の沖ノ島
玄界灘に浮かぶ沖ノ島では、ヤマト王権の主導のもと4世紀後半から9世紀末頃の約500年間にわたって祭祀(さいし)が行われていました。世界遺産を目指す「神宿る島・沖ノ島」の価値はまさしくそこにあります。ところが、もっと古い時代にも沖ノ島で人が活動していた痕跡があるのです。
沖ノ島では、旧社務所前遺跡などから縄文土器、弥生土器、土師器(はじき)の他、打製石鏃(せきぞく)や石斧(おの)、磨石(すりいし)・敲石(たたきいし)、石錘(せきすい)、石の耳飾りなどが出土しています。これらの土器・石器類は、主に縄文人たちが宗像を含む九州島などから、船を使って海を渡り、島に上陸して持ち込んだものです。
黒曜石の産地と種類
縄文時代の石器類のうち黒曜石の石鏃(せきぞく)などについては、白っぽい乳白色のものは大分県姫島産とされ、黒いものも幾つかの産地が想定されていました。
今回、新しい市史編さんに関連して再度石器類を点検してみました。すると、白い黒曜石にも色合いの異なる種類があり、また、黒いものにも漆黒色や鈍い色調のものなどがあることに改めて気付かされました。
黒い黒曜石は佐賀県伊万里市腰岳が有名ですが、ほかに長崎県佐世保市の針尾島や平戸市の度島(たくしま)などの産地が知られています。そして最近では白っぽい黒曜石が佐賀・長崎県境の多良岳山麓でも産出することが分かってきています。
沖ノ島や宗像市域に黒曜石の原産地は知られていません。沖ノ島出土の黒曜石の原産地ははたしてどこなのでしょうか。
再調査で新たな発見も
宗像大社の協力を得て、黒曜石の産地分析を試みました。石器を壊すことなく、蛍光X線を照射することで産地を特定する「蛍光X線分析」という調査です。
宗像周辺の縄文人たちは各地の黒曜石産地にどのように関与し、また石材はどのように流通していたのでしょうか。分析結果が楽しみです。
黒曜石に限らず、すでに知られていた遺跡・遺物についても、最新の調査研究の成果をもとに再検討、再調査などを行うことで、新たな知見が得られたり、通説が修正されたりすることがあります。新しい市史ではそういった成果も盛り込んでいきたいと考えています。
(原始・古代部会長伊埼俊秋)
注:蛍光X線分析とは、物質にX線を照射すると、元素に固有の蛍光X線が発生することを利用して物質の中の元素の種類や量を調べる方法
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