更新日:2021年7月29日
5月は、草木が芽吹き花々の香る新緑の季節です。私たちの暮らす宗像は多くの自然に囲まれ、四季折々の季節感を身近に感じることができます。宗像の人々は古来、山や海の恵まれた資源を利用しながら、海辺や里山でその地域に適した暮らしを送ってきました。今回は、遺跡を通じて分かる、古代宗像の人々の生活の一部を、みなさんに紹介します。
玄界灘の海の幸に恵まれた海浜集落浜宮貝塚
沿岸部の神湊地区東側の砂丘上に位置する浜宮貝塚からは、これまでに塩作りを示す古墳時代の須恵器、魚の骨や貝殻などが見つかっていることから、沖ノ島祭祀(さいし)に関わり、玄界灘を舞台に活躍した宗像海人族の拠点集落が、砂丘上に存在していたと考えられます。漁労具のヤスやモリも見つかっていて、集落の人々は、玄界灘の恩恵を受けながら、潜水術などの高度な技術で豊かな漁労生活を送っていました。遠く沖ノ島へ渡島するために必要な航海技術も持っていました。
豊かな自然資源による須恵器生産
谷筋に沿うようにつくられた須恵器窯、須恵須賀浦遺跡
古墳時代、宗像は渡来人からもたらされた技術で焼かれた、須恵器と呼ばれる土器の北部九州主要生産地でした。今なお残る「須恵」や「黒巡(くろめぐり)」の地名は、須恵器生産との関連が考えられます。須恵器の生産には、高度な技術、窯に適した緩やかに傾斜した地形、燃料として消費されるまき、土器材料としての粘土が身近に手に入ることが必要でした。宗像では、これまでに約100基の須恵器窯が見つかっていることから、古代宗像の人々が自然資源を巧みに利用し、須恵器を生産していたことが分かります。現在は生活様式の変化で、身近の山々が利用されなくなり放置され、荒廃が進んでいることが問題となっています。古墳時代は、まきを採るために山々が適切に管理され、美しい里山の風景が広がっていたことでしょう。遺跡の発掘調査では、粘土を採ったと考えられる粘土採掘坑が見つかっています。
身近な石材を巧みに利用した古代宗像の人々
桜京古墳の石室に利用された玄武岩
古墳を発掘すると、沿岸部と内陸部では石室に使用される石材が異なることに気付きます。沿岸部では、断面六角形をした玄武岩の柱状節理が多く使われています。玄武岩柱状節理は、糸島市の芥屋大門が有名ですが、福津市の渡半島一帯で産出します。
沿岸部に位置する国史跡桜京古墳の石室をみると、断面六角形の玄武岩が数多く使用されています。内陸部では花崗(かこう)岩が目立ちます。このことは、地質の分布とも一致することからも、古代宗像の人々は、高度な土木技術で身近に産出する石材を巧みに利用しながら、当時の一大事業である古墳造りにいそしんでいたことが分かります。
(文化財職員・山田広幸)
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