更新日:2021年7月29日
「大成洞古墳群」を知っていますか?知らない人も多いはず。海の道むなかた館では、お正月にこの「大成洞古墳群」のパネル展を開催します。今回はそのための、予習の回です。
どこの遺跡?
国内の遺跡ではなく、本市の姉妹都市、韓国の金海(きめ)市に所在する古墳群です。慶尚南道(けいしょうなんどう)、釜山の西側に位置する金海市は、古の国「金官加耶(きんかんかや)」国の発祥の地域であり、現在、人口約50万人の街です。大成洞古墳群は、その金官加耶国の王墓といわれている古墳群で、金海平野を南に臨む独立した丘陵上に立地します。古墳の数は、約100基あり、全体でみると2世紀末~7世紀にわたって営まれました。その中心は、39基の木槨墓(地面に穴を掘り、そこに木棺を埋葬した墳墓)であり、3~5世紀に営まれました。
金官加耶国って?
今から1500~2000年前、朝鮮半島は大きく4つの地域に分かれていました。すなわち、高句麗、新羅、百済、加耶です(左上地図参照)。高句麗、新羅、百済はそれぞれ国を建国していましたが、加耶地域は一つにまとまらず、いくつかの国が連合して成り立っていました。その中の一つが金官加耶国です。金官加耶国は、3~5世紀の間、加耶連合国の盟主として栄えました。
金官加耶国の主要な産業はズバリ、「鉄」です。三国志にも書かれているように、古から加耶地域は鉄の国産地として有名であり、金官加耶国は鉄資源を元手に東アジア中で交易をしていました。古墳群では、そのもとでの鉄と、中国系の遺物である銅鏡や中国東北地方に見られる中国北方系遺物の銅鍑(どうふく)など、東アジア中から集められた器物が発見されています。
最新の成果
最新の発掘の成果を、一足早くお伝えしましょう。大成洞古墳群第88号墳では、日本列島で製作されて朝鮮半島に伝わった倭系の遺物である「巴形銅器(ともえがたどうき)」が13点、「筒形銅器(つつがたどうき)」が3点発見されました。巴形銅器は盾の飾り金具、筒形銅器は、全長15cm前後、直径2.5cmくらいの銅製品で、もとは槍や矛の一部であったといわれているお祭りの道具です。驚くべきことは、韓国はおろか、日本でもこれらの遺物がこのように大量に集中して出土している例がないことです。このことは、両国の活発な交流を示すだけでなく、加耶地域のリーダー・金官加耶国が、日本でも貴重な品々を数多く所有できるほど栄えていた証といえます。
(文化財職員・田子森千子)
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