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時間旅行ムナカタ第47回「涙の大甕」

更新日:2021年7月29日

現代ではめったに使われない「甕」。古墳時代には、さまざまな場面で使われていました。その中で、特に大きなものを「大甕」と呼びます。今回は、海の道むなかた館に展示している大甕2点にまつわる「涙」について紹介します。

甕ってなに?

甕とは、酒・しょう油・水などを入れる、口が大きく底の深い貯蔵用の焼き物のことです。昔はよく使われていましたが、重量が重く破損しやすいため、次第にあまり使用されなくなりました。現在は、ガラスや金属が使用され、一般家庭では、甕は今や幻の容器となっています。

弔いの涙

海の道むなかた館に展示しているのは、「相原(そうばる)古墳群出土の須恵器の大甕」と「三郎丸堂ノ上C遺跡から出土した大甕」です。それぞれ高さが93センチ、112.5センチもあり、一人ではとても運べない大きさです。

古墳時代の人々は何のために、このように大きな甕を作ったのでしょうか。

大甕の出土事例は全国的にあるのですが、その出土場所は、古墳上での発見例が多いのです。その出土状態を見てみると、人の手で、わざと割られたものが多いことが分かっています。このことから大甕は、日常で使われたのではなく、祭祀で使われたのではないか、と考えられています。

相原古墳群は、現在のすすき牧場がある丘陵に存在していた古墳です。合計で23基の古墳が確認されましたが、この大甕は2号墳から出土しました。墳丘の盛り土の中で見付かり、定説通り、祭祀に使われたと考えられます。残された人の「涙」とともに、死者に供えられた甕なのです。

匠の涙

匠の涙三郎丸堂ノ上C遺跡は、須恵器を焼く窯跡が4基確認された遺跡です。その内の3号窯は、須恵器を焼く前に窯が崩落してしまった、世にも珍しい遺構であることが知られています。

さて、須恵器を焼いていくと、どうしてもその内のいくつかは途中で割れてしまいます。そうなると、近くに穴を掘って埋めてしまいます。

その穴から出土した2号窯跡の大甕は、他の焼成に失敗してしまった土器と一緒にバラバラになった状態で出土しました。つまり、失敗してしまったものです。

三郎丸の大甕は、相原古墳群出土品の約1・2倍の大きさを誇る大型品です。大甕を作るには、粘土の採集、粘土紐の積み上げ→タタキ成形→別に作った口の部分を接合→細部の調整→乾燥といった多大な労力が、甕の大きい分だけ課されます。自慢の作品の残骸を見た工人の悲しみはいかほどか。大甕のかけらを手に取り、がっくりと肩を落としている姿が目に浮かぶようです。

役目を果たせなかったこの大甕を眺めていると、名も無き工人たちの「涙」で満たされていたのでは…。と思いつつ、実際に涙で満たすには、お風呂一杯分(約200リットル)の量が必要になります。

(文化財職員・田子森千子)

注:海の道むなかた館(図書館入口前)では、その割れた継ぎ目そのままに、大甕をしばらく展示します。ぜひ見に来てください

甕

海の道むなかた館に展示している2点の甕。

一人ではとても持ち運べません

左:相原古墳出土 右:三郎丸堂ノ上C遺跡出土

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このページに関する問い合わせ先

教育部 世界遺産課
場所:海の道むなかた館
電話番号:0940-62-2600
ファクス番号:0940-62-2601