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時間旅行ムナカタ第33回「今に残る歴史的町並み『赤間宿跡』」

更新日:2021年7月28日

今に残る歴史的町並み「赤間宿跡」

赤間宿跡

奈良や京都などの古社寺(こしゃじ)を訪ね歩くと、長い年月をかけて積み上げられてきた歴史の重みを感じることがあります。歴史的町並みも人々の生活の中で長い時間をかけて形成されてきたもので、その場を訪れることによって、私たちに「ふるさと」のような心地よさを与えてくれます。赤間地区にある赤間宿跡も刻々と変わる時代の変化に耐えながら、江戸時代から明治にかけての町並みを今に伝える歴史的町並みの一つです。

交通の要衝物流の中心地

赤間宿は、城山の麓の赤間地区にあり、江戸時代には、小倉から佐賀県唐津へ通じる唐津街道と、木屋瀬(こやのせ)方面へ向かう赤間街道との分岐点に位置することから、交通の要衝として栄えました。また、現在のように物流網が発達していない当時、芦屋・波津・鐘崎・神湊・勝浦・津屋崎・福間の7つの港から三里(約12キロメートル)の場所に位置することから、七浦三里と呼ばれ、流通の中心地としても栄えていました。

当時の赤間宿では、「生活に必要なものはなんでもそろう」といわれていたそうです。江戸時代に、17年かけて日本中を測量した伊能忠敬(1745年から1818年)の日記にも赤間宿の記載があり、「町並人家続き、家百五十六軒」と記されています。文政4年(1821年)に、博多でしょうゆ醸造を営んでいた奥村玉蘭によって作られた筑前名所図会には、赤間宿に町屋が並ぶ様子が描かれていることからも、江戸時代の赤間宿のにぎわいを知ることができます。

赤間宿の名残

赤間宿の長さは約500メートル、城山から延びる丘陵の傾斜に沿って町筋が通り、商家や旅籠(はたご)、問屋場などの町屋が軒を並べていました。町屋は間口が狭く、奥行きの長い敷地の街道側に主家を建て、裏には便所や離れを建てる構造です。また、宿場内には辻井戸と呼ばれる共同の井戸も7カ所掘られ、街道を往来する人々の喉を潤していました。現在まで残っている辻井戸は少なくなりましたが、一つは旧街道沿いにその姿を残しています。

その他、宿場の入り口には石垣や塀などで構口(かまえぐち)が設けられていて、その名残が現在も交差点の名前としても残っています。出光興産創始者の出光佐三生家や、「楢の露」で知られる勝屋酒蔵の軒構えは、赤間宿を代表する景色の一つです。

赤間宿に「兜造り」あり

赤間宿最大の特徴といえば、白壁と兜(かぶと)造りの町屋です。通りに面した軒を低くし、2階の窓が小さく、正面から町屋を見ると兜にそっくりです。赤間宿の最盛期には、このような町屋が数多く軒を連ねていたと考えられ、その姿は圧巻だったことでしょう。市の調査によると、平成元年ごろまでは17棟の兜造りの町屋があったことが確認されています。(文化財職員・山田広幸)

今に残る兜造りの町屋の面影

今に残る兜造りの町屋の面影

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