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時間旅行ムナカタ第30回「シルクロードの旅(後編)」

更新日:2021年7月28日

シルクロードの発着点

大陸を横断し東西に延びるシルクロード(オアシスの道)は、古代から中世の各地をつないだ交易路として知られています。このシルクロードの発着点は、イタリア半島を中心に地中海沿岸を治め、「全ての道はローマに通ず」などとたたえられた古代ローマ帝国が西側、中央アジアから広大な面積を治めた古代中国(漢、隋、唐など)の都である長安(ちょうあん)や洛陽(らくよう)が東側といわれています。同時期に強大な力を持ち合わせた2つの国を結び、各地に大きな影響を与えていったのです。

そして、この長いシルクロードの交易は多くの商人たちが担い、特にオリエント地域の商人たちは、この交易で重要な役割を果たしていました。

シルクロードの発着点

オリエントの世界

オリエントは、ローマ人がメソポタミア文明、エジプト文明とその周辺地域を「進んだ文化を持つ地域」としてたたえた呼び方で、現在の中東地域と北東アフリカ地域を合わせた地域です。中でも、中東地域の都市は中継貿易の拠点で、ここで活躍する商人たちの手で東西の文化が結ばれました。

このオリエント地域で作られ、運ばれた物の一つに、前編でも紹介した沖ノ島で出土したガラス製の碗があるのです。

オリエント地域の商人たちは、単に東西を結ぶ交易の担い手としてだけでなく、各地の文化も伝えていきました。

仏教都市

商人で結ばれた都市には、仏教都市として栄えた都市も見られ、これらの都市を通り仏教は広がっていきました。仏教都市の一例として敦煌(とんこう)を紹介します。

敦煌は、タクラマカン砂漠の東側に位置し、莫高窟(ばっこうくつ)をはじめ、多くの石窟寺院で有名なオアシス都市です。これらの石窟寺院は、4世紀から12世紀にかけ1000窟あまり造られたといわれています。内部には仏像が安置され、壁や天井には極楽浄土図など華やかな仏教絵画が描かれています。そして、その中に納められた経典文書の敦煌文書は、敦煌を仏教都市として有名にしていきました。

その他、仏教寺院跡が残る楼蘭(ろうらん)や巨大な大仏が崖に彫られたバーミヤンなど、多くの仏教都市がシルクロード沿線に栄えていました。

仏教の道

仏教は、これらの仏教都市を通じインドから各地へと伝えられることになります。紀元前3世紀には仏教を保護したインドのアショーカ王がエジプトやシリアに宣教師団を派遣し、仏教を西方諸国へ伝えています。そして、楼蘭や敦煌などの仏教都市を経由しながら紀元前1世紀ごろ中国に伝えられています。

その後、さまざまな僧侶により仏教研究や多くの仏典が翻訳され、朝鮮半島や日本に伝えられたのです。

日本への道

仏教は、朝鮮半島を経て、6世紀に日本に伝わります。

当時の日本は、飛鳥時代で、日本古来の神道が信仰されていました。しかし、仏教の教えを基に政治を動かした聖徳太子(しょうとくたいし)らの活躍で仏教を受け入れました。現存する世界最古の木造建築である法隆寺も、この時期に建立されています。

奈良時代になると、国内各所に国分寺、国分尼寺が建てられ、急速な広がりを見せます。当時の都が置かれた奈良や京都には多くの寺院が建立され、今も世界に誇る美しい景観をつくりだしています。

このように、シルクロードを通り日本へと伝えられた多くのものは、今もなお、私たちの生活や文化の中に色濃く残っています。

(文化財職員沖田正大)

煌の石窟寺院「莫高窟」

煌の石窟寺院「莫高窟」

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