更新日:2021年7月28日
市内最大の前方後円墳
相原古墳は、河東のすすき牧場の敷地内にあります。周辺からは古墳の盛土の一部しか見ることはできませんが、実は、この古墳は市内最大の前方後円墳でした。
東海大学付属第五高校の歴史クラブが昭和47年、墳丘の測量を実施した結果、墳丘の残存長は62メートル、前方部約32メートル、後円部直径約30メートル、高さは9メートルでした。
その後、墳丘は、造成工事で削られましたが、石室をかろうじて覆う規模で残っています。
特徴的な石室
相原古墳の石室(せきしつ)を、福岡教育大学の波多野鑑三(かんぞう)先生が、昭和46年に調査しました。さらに、平成23年に市教育委員会が追加調査しました。
その結果、大きな「石棚(いしだな)」と呼ばれる、死者を埋葬する区画を覆う施設が見つかりました。また、石室は、使用されている石材が巨石化して、「後室(こうしつ)」よりやや小さな「前室(ぜんしつ)」を持つ、複室構造の横穴式石室ということが分かりました。石室の現存長は8.62メートル、後室の天井高は4.65メートルと大きな石室で、天井高は、現在、市内で確認されている古墳の中で1番の高さです。
数少ない石棚を持つ古墳
現在、県内で「石棚」を持つ古墳は、約25基確認されています。宗像地域では、本市の「平等寺瀬戸1号墳」「桜京古墳」、福津市の「勝浦高原5号墳」、「新原・奴山(ぬやま)34号、44号墳(国史跡津屋崎古墳群内)」、の5基が確認されています。
25基のうち、県内で「石棚」を持つ前方後円墳は、本市の「桜京古墳」、宮若市の「里古墳」、桂川町の「王塚古墳」、うきは市の「日ノ岡(ひのおか)古墳」、「重定(しげさだ)古墳」の5基が確認されています。「里古墳」を除き、いずれも石室内に装飾を持つ有力者の墓です。
豪華な副葬品
副葬品の馬具の中には、沖ノ島の祭祀(さいし)遺跡や韓国昌寧末吃里(しょうねいまつきつり)遺跡で出土した馬具によく似たものが見つかり、新羅(しらぎ)製ではないかと考えられています。
この他、金銅製馬具、金銅製刀装具、鉄製の小札鎧(こざねよろい)、冑(かぶと)、刀、鉾(ほこ)、鏃(ぞく)、メノウ製切子玉(きりこだま)、コハク製棗玉(なつめだま)などが出土しています。これらの副葬品は、市内からの出土例も少なく、貴重なものです。
これらの副葬品から、6世紀後半に造られた古墳と考えられます。
墓の主は
石棚を持つ古墳の被葬者は、類例から、かなりの有力者であったと想像できます。
特に、新羅系の馬具は珍しく、同古墳のすぐ後の時期に造られた相原2号墳からも、新羅土器が出土しています。また、完形品はありませんが、刀、鉾、鏃、鎧、冑の武具が一通りそろっていました。
これらのことから、朝鮮半島や中国大陸との交流があり、ヤマト政権とのつながりを持つ人物で、副葬品から、武人としての性格が強い人物であったと想定されます。
(文化財職員・坂本雄介)
相原古墳石室実測図
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