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時間旅行ムナカタ第15回「古代人も好んだ宝石ヒスイ」

更新日:2021年7月28日

 ダイヤモンドやサファイアなどは一度は耳にしたことのある宝石ですが、みなさんはヒスイ(翡翠)と呼ばれる宝石を知っていますか?

ヒスイは緑色で半透明の宝石で、鉱物学的には硬玉(こうぎょく)や軟玉(なんぎょく)と呼ばれています。大きさなどにもよりますが、色や透明度など、宝石的価値の高いものは数万円から数十万円で取引されています。産地は世界で限られた場所にしかなく、ミャンマーやアメリカなどがありますが、日本でもごく限られた地域にだけ産出することが知られています。

新潟県は国内の主なヒスイの産地で、中でも姫川の支流にある小滝川は国内で唯一、ヒスイの密集地として有名です。学術的に貴重な場所として昭和31年には国の天然記念物に指定されました。

遺跡を発掘すると、ごくごくまれにヒスイが出土することがあります。ヒスイは勾玉(まがたま)や垂飾(すいしょく)などに使用され、現代の私たちと同じようにその神秘的な深い緑色は古代の人々も好んだようです。

田熊石畑遺跡では、弥生時代の墳墓からヒスイ製垂飾2点、勾玉3点が出土しました。垂飾はその出土状況から頭や耳につけていたアクセサリーと考えられます。また、宗像市最大の前方後円墳として知られる古墳時代の東郷高塚古墳からは、ヒスイ製勾玉が出土しています。

これらをよく観察すると、形はさまざまで、それぞれ色や透明度が異なり、宝石的な魅力を伝えてくれます。宗像で出土したヒスイは、そのほとんどが、初めに説明した新潟県姫川流域のものと考えられています。

飛行機や新幹線、さらには馬による交通手段もない時代に、1000キロ近く離れた場所から長いリレーによって宗像に運ばれてきたヒスイは、どのような人たちの手を介しながら、この地までやってきたのでしょうか。

ヒスイは別名、硬玉と呼ばれるように、加工が難しいといわれています。加工道具が十分ではない時代にどのようにしてヒスイを加工していたのでしょうか。考えるとロマンが膨らみます。

ヒスイによく似た色のアマゾナイトと呼ばれる鉱物も、古代ではアクセサリーとして使用されていました。和名では天河石(てんがいし)とも呼ばれ、その名前が示すようにきれいな青緑色をしています。

光岡辻ノ園遺跡では、発掘調査で弥生時代のアマゾナイト製獣形勾玉が出土しています。アマゾナイトは朝鮮半島で産出することが知られていて、この獣形勾玉も海の道を示すものとして注目されています。

この他、琥珀(こはく)や水晶といった宝石も、古代にはアクセサリーとして重宝されていました。今日では、女性がアクセサリーを身に付けることが一般的ですが、1400年ほど前までは、性別にかかわらず、富や権力の象徴として身に付けていたと考えられています。

海の道むなかた館では、今回紹介した古代のアクセサリーを見ることができるだけでなく、古代アクセサリーの勾玉作りも体験することができます。詳しくは、市ホームページhttp://www.city.munakata.lg.jp/を見るか、海の道むなかた館まで問い合わせてください。

(文化財職員・山田広幸)

  • 問い合わせ先:郷土文化学習交流課 電話番号:0940-62-2600
  • 光岡辻ノ園遺跡から出土したアマゾナイト製獣形勾玉の画像
  • 田熊石畑遺跡から出土したヒスイ製垂飾と勾玉の画像

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教育部 世界遺産課
場所:海の道むなかた館
電話番号:0940-62-2600
ファクス番号:0940-62-2601