更新日:2021年7月28日
海の正倉院「沖ノ島」
宗像市の沖合60キロに浮かぶ沖ノ島は、カットグラスや金銅製の龍頭などが島内の古代祭場から数多く出土していることから、別名「海の正倉院」と呼ばれています。
沖ノ島ほどは知られていませんが、実は九州本土側の宗像市内の遺跡からも、中国や朝鮮半島の大陸側から海を渡ってきたものが遺跡の発掘調査で数多く発見されています。
北部九州にいち早く伝わった大陸の金属器
稲作が大陸から日本へ伝わった弥生時代は、同時に金属製品が伝わった時代です。弥生時代は金属が伝わったおかげで、これまで石で造られていた道具が、鉄などの金属で造られるようになりました。物の加工が容易になり、生産性が大きく増した時代です。
平成22年に国の史跡に指定された田熊石畑遺跡の墓域から出土した15本の武器形青銅器は弥生時代のものですが、これらの中の一部には朝鮮半島で造られたものも含まれています。北部九州の地にいち早く伝わった金属器は、私たちの住む宗像の地にも伝わっていることが分かります。
全国でも珍しい遺物も宗像の古墳から出土
古墳時代、古墳と呼ばれる墓が日本各地で数多く造られました。最新の調査では、宗像市内に約2200基の古墳があることが分かっています。
河東に所在する相原(そうばる)古墳からは当時、朝鮮半島の新羅で焼かれた新羅土器が出土しています。この土器は直径20.8メートル、高さ6メートルの円墳から出土したもので、完全な形ではありませんが、復元すると胴の長い壷形の土器になります(写真)。
土器の表面には、スタンプやコンパス描きによる円形や半円形の模様が配置されています。このような土器の模様は、朝鮮半島の慶尚南道にある慶州市を中心とする新羅の地で焼かれた土器に見られる特徴です。
その他にも、牟田尻に所在する牟田尻中浦古墳からは、金銅製飾履(しょくり)と呼ばれる装飾された「くつ」が発掘されています。
くつを持つということは、その人の富と権力を示します。その文化のルーツは朝鮮半島にあるため、日本国内での出土例も数例しかありません。貴重な資料として、11月15日(火曜日)から太宰府市の九州国立博物館で展示されます。
また、牟田尻中浦古墳に隣接して所在する桜京古墳は、宗像地域唯一の装飾古墳として知られ、国の史跡に指定されています。現在は、古墳の保存・保護のため内部に立ち入ることはできませんが、奥壁や石屋形と呼ばれる施設に赤や緑、白色で塗り分けられた三角文の装飾があります。
市では昨年度、九州国立博物館と共同で、最新技術を駆使して石室内の撮影をしました。石室内の装飾の様子は、九州国立博物館の装飾古墳VRシアターで見ることができます。ぜひこの機会に、普段立ち入ることのできない石室の姿を見てはいかがですか。
右図:相原古墳から出土した新羅土器
国際色豊かな出土品来春展示を予定
今回紹介したものはごく一部にすぎません。これら以外にも、大陸から渡ってきたものが宗像市内で多く発見されています。これほど多くの大陸系の遺物が発見されている場所は珍しく、宗像の特色ともいえます。
沖ノ島で発見された大陸色豊かな遺物は、当時、どのような人たちの手によって運ばれてきたのでしょうか。これだけ国際色豊かなものが発見されていることから、ひょっとすると航海技術に長けた古代宗像の人たちが、その役割を担って大陸と北部九州を往来していたのかもしれません。
来春開館予定の郷土文化学習交流施設では、「海の道」をテーマにして、市内で出土した海を渡ってきた数多くの遺物を展示する予定です。
(文化財職員・山田広幸)
このページに関するアンケート
このページに関する問い合わせ先
教育部 世界遺産課
場所:海の道むなかた館
電話番号:0940-62-2600
ファクス番号:0940-62-2601