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時間旅行ムナカタ第105回「海峡を越えた宗像漁民」

更新日:2023年1月27日

宗像の人々と海産物との関わりは、縄文時代後期の鐘崎()貝塚で出土した骨角器の釣針などから3千年を超えることが分かっています。原始・古代のの実態はよく分かっていませんが、明治時代には対馬海峡を越え朝鮮半島沿岸でサワラ漁などが盛んに行われました。これを「」といいます。

大正12年頃の宗像漁民の朝鮮通漁の様子を『玄海の漁撈民俗』(楠本正著/海鳥社・1993年出版)から紹介します。

「舟は六尺肩(約1・6m)で3人乗り、7月の東シラミ(夜明け)に大島を発ちました。順風に恵まれ、昼前には沖ノ島を左に見て走り、その日の夜更けには釜山に着きました。釜山から朝鮮半島の北岸を遡上しながら、(釜山北方約100キロメートル)を根拠地にサワラ釣りをして、(現・北朝鮮)近くまで行って漁をしました。獲物は『』(鮮魚仲介業者)の母船が、毎日集めに来ました。炊飯はすべて舟で行い、寝るときは(むしろの一種)を敷いて休んでいました。年の暮れになると大島に帰り、翌年の盆すぎには出漁するといった生活を3年ばかり続けました」
当時は小さなコンパスで島などを目印に無動力の小舟で対馬海峡を越えたのです。この漁はあまり儲からなかったようで、やがて盛んではなくなりますが、玄界灘にとどまらない宗像漁民の活躍を示す事例といえます。

(文化財職員・池田)

  • 朝鮮通漁で使われた小舟の図
  • 朝鮮通漁に用いた海図

 

  • 海の道むなかた館では、企画展「沖ノ島の自然と豊かな海」で、朝鮮通漁で使われたと思われる海図を令和4年12月25日(日曜日)まで展示しています。

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電話番号:0940-62-2600
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