更新日:2021年7月29日
倭人の弓
中国の歴史書『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』には、倭人(弥生時代の日本人)の弓は下が短く上が長い形をしていたとあります。現在の弓道で用いる和弓も長い弓の下方に握りがあります。日本周辺で和弓のような長弓を使う民族は、フィリピン・ポリネシア・ソロモン諸島など南方の沿岸部に分布しています。一方、アジア大陸の中国やモンゴルなど内陸部ではアーチェリー形の短弓が主流で、長弓よりも飛距離や操作性に優れています。それではなぜ、海沿いの地域では長弓が広まったのでしょうか。
長弓のルーツ
昭和の人類学者・金関丈夫(かなせきたけお)は、「日本や南方民族にみられる射魚(弓矢で魚を獲ること)の風習が根底にあるのでは」と考えました。長い弓は必然的に長い矢を必要としますが、これは水中を貫通することに有利で、さらに弓の握りを下にすることで水面下の獲物を狙いやすいのです。この説に従うと、神湊の海辺にある浜宮貝塚から出土した骨鏃(こつぞく)(骨製の矢じり、海の道むなかた館で展示中)は武具や狩猟具とは限らず、漁ろう具の可能性もあるようです。
(文化財職員・白木)
弓矢に挑戦してみては?
いせきんぐ宗像では、平成30年7月21日(土曜日)午後5時から「夏まつり東郷」の中で、田熊石畑遺跡村づくりの会が弓矢体験ブースを開設します。弓の少し下を握る倭人スタイルでチャレンジしてみては。
詳細は、下記関連リンク「いせきんぐ宗像 」ホームページで確認を
関連リンク
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