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時間旅行ムナカタ第83回「宗像市幼児教育の沿革」

更新日:2021年7月29日

『新修宗像市史』現代部会から

 

 昔の田植えや稲刈りなどで忙しい時期は、小さい子どもたちを地域の人や少し年上の子どもたちが面倒を見ていました。近代になると産業化が進み、子どもを預かる託児所が出てきました。現代では、幼児教育・保育環境が変化してきています。今回、現代部会では市内の幼児教育や保育の始まりなどを紹介します。

 

池田炭鉱から始まった託児所

 玄海町池田(現宗像市)には池田炭鉱があり、昭和10(1935)年頃には女性を含む600人を超える坑夫が働いていました。

 昭和3(1928)年から同12(1937)年まで同鉱を所有していた木原鉱業株式会社の社長木原峯次郎は、炭坑の坑夫が三交替制で昼夜を問わず働いていたため、昼間の睡眠時間が取れるようにと、会社内に託児所を作りました。木原は炭鉱経営を辞めた後、社会福祉事業として保育所を作ろうとしました。昭和25(1950)年4月、木原は三郎丸の自宅を開放して恵愛保育園を設立しました。これがこの地域における最初の保育園です。昭和26(1951)年4月には個人立として認可されました。

 昭和26年9月、東郷橋の近くに西海保育園が鍋山栄とミツ夫妻により開園。また、昭和32(1957)年には赤間地区の人たちからの要望により、当時の宗像町が土地・建物を貸与し、赤間保育園が誕生、翌33年に町営化され、昭和44(1969)年の民営化まで宗像町唯一の公立保育所として運営されました。

 

幼児を見守る大人たちの目

 昭和49(1974)年、日の里に住んでいた幸政恵は「保育は0歳児から大切だ。三つ子の魂百まで」として、家庭保育室「幸保育室」を久原で始めました。現在の「野ばら保育園」です。

 昭和50(1975)年、細川巌は、若い頃から学んでいた仏教の教えを、幼い子どもたちにも分かるように説いて命を尊ぶ心を育てようと、福岡教育大学を退職して三郎丸で「ひかり幼育園」を無認可保育園として開園。平成17年に認可園となりました。

 宗教に根ざした保育理念は、幼稚園の創設にもありました。昭和29(1954)年、光岡の浄徳寺に浄徳寺幼稚園が開園、翌30年には東郷教会の附属幼稚園として、礼拝堂を使って東郷信愛幼稚園が開園しました。それぞれ、仏教、キリスト教を保育理念に据えた保育を行っています。

 

これからの幼児教育、保育施設

 少子化の時代とはいえ、就学前の子どもの保育や教育に対するニーズは高まってきています。

 幼稚園は就学前の3歳以上の子どもに教育を行う施設で、保育所は子どもの保護者が仕事や病気などで保育が困難な場合に保育する施設です。そこに平成18(2006)年から、両者の機能をもつ施設である認定こども園が新たに国により創設されました。宗像市でも認定こども園に移行する施設が出てきています。

 これからも幼児教育や保育環境は、時代にあわせて変化していくことになるでしょう。

(現代部会・大藪善次郎)恵愛保育園の保育風景(昭和26年頃)

  • 恵愛保育園外観(昭和25年頃)の画像
  • 恵愛保育園外観(昭和25年頃)の画像

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