更新日:2021年7月29日
宗像大社所蔵「伝勘合印(でんかんごういん)」が持つ意味
「新修宗像市史」中世部会から
中世部会は主に鎌倉・室町時代を対象に調査を進めています。今回は、宗像大社が所蔵する「伝勘合印」から、中世の宗像大社の対外貿易を検討します。
宗像では中世にも活発な対外貿易が行われていました
宗像大社が展開した海外交流は古代に注目が集まりがちですが、中世にも対外貿易が展開されていました。1392年に成立した朝鮮王朝の史料に多くの通交記事が見え、宗像氏は朝鮮王朝と活発な貿易を行っていたと考えられています。
当時、在地勢力が朝鮮貿易を行うには、「図書」と呼ばれる私印が必要で、九州国立博物館には、宗家旧蔵図書として伝わった宗像氏助の図書が所蔵されています。しかし、これは16世紀に対馬宗氏が独自に取得したもので、宗像氏と関係はありません。
宗像大社に伝わる「伝勘合印」
現在、宗像大社には「伝勘合印」と呼ばれる朝鮮貿易で使用したとされる印鑑の模造印と、その来歴を記した「勘合印来由記」が伝わっています。しかし、「勘合印来由記」を分析すると、南北朝期の宗像氏俊と室町期の宗像氏俊を混同している点、全く形状の違う大内氏通信符をモデルとしたと記載している点、一般的な図書と違い印面が横書きではなく、また「鈕」という持ち手の形状が異なる点から、その内容は後代の作り話だと分かります。つまり、伝勘合印は宗像氏の図書を模造したものではないのです。
祖先の「宗像愛」を推しはかる
では、どうしてこのような印鑑が作られたのか。「勘合印来由記」には、伝勘合印は宗像氏貞の娘が嫁いだ毛利氏家臣草刈氏に伝わったと書かれています。これを踏まえると、朝鮮貿易を行っていた祖先の事績を知った草刈氏のある人物が、「こういう印鑑を使ったのだろう」と想像で作成したのが伝勘合印だと考えられるのです。
このように祖先顕彰のため、後代に物証を作り上げてしまうケースは多く見られます。一方で、これは草刈氏が祖先を愛し、朝鮮貿易を偉大な事績だと敬った証でもあります。宗像大社の対外交流を顕彰する姿勢は、そうした行為の積み重ねの上に立つものだといえるでしょう。
(新修宗像市史編集委員・松尾弘毅)
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