更新日:2021年7月29日
明けましておめでとうございます。さて、今年は酉年ということで、鶏の話題をお届けしたいと思います。
鶏の伝来
鶏は庭で飼うから「にわとり」というらしく、私たちにはとても身近な鳥です。それでは、鶏はいつから日本にいたのでしょうか。答えは稲作の始まった弥生時代からです。なぜ、縄文時代にさかのぼらないかといいますと、他の家畜化した動物と同様、鶏を飼うにはやはり人間の「定住化」と畑で作る「穀物などの飼料」が必要で、狩猟をしながら移動して生活していた縄文人にはどうしても飼えない動物でした。というわけで、鶏と私たちの関係は、田熊石畑遺跡(いせきんぐ宗像)が栄えていた弥生時代から始まります。
鶏と古代人
鶏との関係が深い古代人。鶏はどのような役割を人々の生活で担っていたのでしょうか?
このことを考えてみるとき、鶏の習性を思い出してみてください。「暁の空はさわやかに 鶏鳴高く明け染めて」これは私の出身校の校歌の一部ですが、この歌詞の通り、鶏は明朝に鳴きます。
鶏は朝を告げる鳥、言い換えれば新しい首長が誕生したことを告げる鳥として(時を告げる神聖な鳥として)、古墳時代では古墳での祭祀(さいし)儀礼などで使われていたようです。実際、鶏の形を模した埴輪(はにわ)などが各地の古墳から出土しています。有名な遺跡が、小郡市の津古生掛(つこしょうがけ)古墳です。この古墳からは、鶏の体形、トサカの形までリアルに表現されている「鶏形土器」が3点発見されています。動物や人物をかたどった土器が他になく、このことは、鶏が古墳祭祀でいかに重要な位置を占めていたかを物語っています。
宗像では…
宗像では残念ながら、遺跡からは鶏関係の出土がありませんが、昔から「むなかた先生、むなかた卵」という言われがあり、教員を多く輩出する土地柄で、養鶏業が盛んだったことが分かります。
また、牛肉ではなく鶏肉を使った「鶏のすき焼き」は、家で鶏を飼うことが多かった宗像で今でも愛され続ける郷土の味です。
宗像名物「鶏のすき焼き」を食しながら、古代からの人と動物の係わりの変化に思いをはせてみてはいかがでしょうか。
(文化財職員・田子森千子)
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