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時間旅行ムナカタ第34回「発掘調査から見える当時の生活『赤間宿跡』」

更新日:2021年7月28日

赤間宿跡の旧唐津街道沿いは、江戸時代から続く歴史的町並みの風情を残し、今も町屋などの伝統的建造物が残っていますが、地面の下にも多くの歴史遺産が残っていることが近年の発掘調査で明らかとなりました。

赤間宿跡

数百年たった今も変わらぬ辻井戸

平成24年度には、赤間宿内にあった7カ所の共同井戸である「辻井戸」と、それに関連する区画と隣接地の発掘調査を実施しました。この発掘調査は、赤間宿跡内での初めての発掘調査で、多くの成果を得ました。

調査を実施した辻井戸は、数百年たった今も崩れることなく、当時のままの姿で発掘されました。唐津街道沿いに面し、深さ4.5メートル以上、下から上まで緻密な石の積み上げで造られたもので、当時の石積み技術の高さを知ることができます。安全上の観点から、井戸の底までの調査は断念しましたが、周囲に住むみなさんの話では、赤間宿の井戸は通常の井戸よりも浅く、5メートル前後で水が湧いてくるとのことでした。この井戸が使われていた当時は、多くの人がこの井戸で喉を潤したことでしょう。

また、発掘調査前は分かりませんでしたが、辻井戸と隣接する土地の境に、石垣を発見しました。旧唐津街道が丘陵の頂部に沿って通り、街道筋から離れるほど地形が低くなっているため、敷地奥ほど石を高く積み上げ、街道と同じ高さに造成していたようです。石垣は、街道沿いから20メートルほど奥に延びることが確認できました。辻井戸に隣接する土地の石垣から奥では、ごみ穴や石垣を降りる階段状の石も見つかったことから、石垣区画内には町屋が建ち、石垣より奥は裏庭として使用していたと考えられます。裏庭では、野菜を作っていたのかもしれません。

発掘調査区全景

発掘調査区全景

当時の生活に思いをはせて

その他、辻井戸に隣接する土地には町屋以前に、掘立柱建物があったことが分かりました。通常、町屋では柱を添えるための基礎部分に石を用いることが一般的ですが、この建物は何を意味しているのでしょうか。辻井戸の横に休憩小屋があったと想像してみても面白いかもしれません。

発掘調査では、いわゆる「伊万里焼」と呼ばれる碗や皿など、陶磁器類も出土しました。これらの陶磁器類の制作年代から、時代を知ることができます。出土した陶磁器類を調べたところ、18世紀後半から19世紀にかけて生産されたと考えられる陶磁器類があることが分かりました。陶磁器類は町屋に住む人々が生活で使用していたもので、当時の生活観がよく伝わってくるだけでなく、赤間宿の成立から現在までの過程を考える上で、貴重な資料です。これらは海の道むなかた館で見ることができます。

発掘調査で現れた辻井戸

発掘調査で現れた辻井戸

(文化財職員・山田広幸)

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電話番号:0940-62-2600
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