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時間旅行ムナカタ第32回「孔大寺の大イチョウ」

更新日:2021年7月28日

樹齢300年1本のイチョウの木

市北東部に位置する孔大寺山。その山腹、孔大寺神社の入り口で、天に向かって真っ直ぐに伸びるのが、県指定天然記念物(昭和31年指定)の大イチョウです。

現在、孔大寺山の樹木は伐採され、古木としてはほとんどなくなっていますが、明治初年には、山全体に樹齢数百年以上の杉や、その他の樹木による自然林が麓まで生い茂っていました。昼でも暗く、猪や猿などが多数生息していました。

戦後、伐採され、現在は大イチョウ1本を残すのみとなっています。大きさは、樹高34.6メートル、幹回り6メートル、根回り9.4メートル。樹齢は300年と推定されています。

秋には鮮やかな黄色に色づく大イチョウ

秋には鮮やかな黄色に色づく大イチョウ

山伏の峰修験道場の孔大寺山

孔大寺山は、英彦山、宝満山と共に、山伏の修験道場三山の一つに数えられる霊場です。三山では、何カ年ごと交互に峰入行事が実施されていました。

麓の小字仙岳(せんがく)という所に、山伏の屋敷跡が多数残っていて、仙岳坊と呼ばれていました。峰入りには、多数の山伏が参加しました。

その期間中は、断食が決行され、一日、手のひら分のかゆだけを食べ、その他の食事は一切取りません。毎日ホラ貝を吹きながら、護摩(ごま)焚き、火渡り行事、その他数々の心身鍛錬の荒行を実施しました。修行の終了日には、心身ともに疲れ果て、自分の足だけで下山することができず、仲間に両肩を支えられながら下山。仙岳坊の館で、次第にもとの健康体に復帰させていました。

現在は、孔大寺山での峰入行事は実施されていません。最後に峰入行事が実施されたのは、明治2年(1869年)とされています。

戦前、イチョウが大切にされていたわけは

孔大寺山には、戦前、多くのイチョウの大木がありました。

では、なぜ孔大寺神社付近では、戦前、イチョウの木が大切にされてきたのでしょうか。ここでいくつかの説を紹介します。

  • イチョウの葉は防虫効果が高く、衣装や神具、漆器や文献などを保管する場合に使いました。イチョウの葉に虫食いがないのは、昆虫がその成分を嫌うからだそうです
  • イチョウの幹や枝などは水分が多く燃えにくいので、大火のときや延焼しそうなときには、火の手から建物を守ってくれます
  • イチョウの実は、体を温め、尿意を遠ざけ、滋養がとてもあり、厳しい修行時に食べると良いとされました

これらの理由から、社寺に好んで植えられたようです。

大イチョウ

11月に入ると、大イチョウは鮮やかな黄色に色づき始めます。山登りも兼ねて、ぜひ訪ねてみてはいかがでしょうか。

(文化財職員・権丈和徳)

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