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時間旅行ムナカタ第21回「海を越えた焼物」

更新日:2021年7月28日

わが国では、昔から、大陸や朝鮮半島との交易でもたらされた品物は、貴重なものとして扱われていました。特に、唐物(からもの)と呼ばれる中世から近世にかけて輸入された中国製美術品は、大変珍重(ちんちょう)されました。今回は、宗像に輸入された唐物の中から陶磁器に注目しました。

輸入された陶磁器

日本に陶磁器が輸入され始めたのは奈良時代のことです。沖ノ島の祭祀(さいし)遺跡から出土した唐三彩(とうさんさい)の「つぼ」はよく知られています。ただ、市内の遺跡から見つかっている陶磁器の多くは、沖ノ島の唐三彩よりも新しく、平安時代末から鎌倉時代(12世紀中ごろから14世紀)にかけてのものです。

昭和60年に宗像ユリックスを建てるために実施された久原遺跡の発掘調査では、大きな溝から白磁や青磁の「わん」や「皿」が大量に発見されました。全て、平安時代末から鎌倉時代にかけて海を越えて中国から輸入されたものでした。

翡翠の輝きを持つ青磁

青磁が焼かれるようになったのは、古代中国の三国時代(220年から280年ごろ)にさかのぼるといわれています。中国で「玉(ぎょく)」といわれる翡翠の色を目指して作られた焼物です。微量の鉄分を含む釉薬(ゆうやく)を掛けて、登り窯を使用して高温で還元炎焼成(酸素を絶って焼き上げること)されたものです。釉薬の中にある鉄分が還元されて青く発色することから名付けられました。

南宋(なんそう)時代(1127年から1279年ごろ)になると、龍泉窯(りゅうせんよう=浙江省〈せっこうしょう〉)という窯で最盛期を迎えました。「わん」の内側にヘラを使った片彫りで、ハスの花や葉を刻み込んだものなどが作られました。この青磁は日本、朝鮮半島、東南アジア全域の他、はるかシルクロードを渡って、各国へ運ばれていました。

ハスの花や葉を刻み込んだ青磁の「わん」
ハスの花や葉を刻み込んだ青磁の「わん」

新雪のように輝く白磁

白磁が焼かれるようになったのは、古代中国の北斉(ほくせい)(560年から570年ごろ)にさかのぼるといわれています。その後、北宋(ほくそう)時代(960年から1127年ごろ)の定窯(ていよう=河北省〈かほくしょう〉)という窯で「わん」や「つぼ」などが多く作られました。胎土に使用している白色陶土(とうど)の上に透明な釉薬をかけて、登り窯を使用して高温で焼成したものです。透明な釉薬で、つやのある柔らかい白色に仕上がることから名付けられました。「わん」の口縁の外側を丸くする玉縁(たまぶち)などが作られました。

また、微量の鉄分を含んだ釉薬をかけて焼き上げて、文様の溝にたまった釉が青味を帯びて水色に見える青白磁(せいはくじ)などもあります。

久原遺跡の発掘調査で発見された白磁の皿
久原遺跡の発掘調査で発見された白磁の皿

口縁の外側を丸くする玉縁の白磁
 縁の外側を丸くする玉縁の白磁

国際交易で栄えた宗像

これらの輸入陶磁器は、博多や平安京、奥州平泉など交易に携わる場所や大都市で、数多く発見されています。宗像大社神宝館に展示している阿弥陀経石(あみだきょうせき)や宋風狛犬(そうふうこまいぬ)も中国から輸入されたもので、国内でも珍しく、貴重なものです。久原遺跡だけでなく、市内から数多く見つかっている白磁や青磁も、交易で栄えていた宗像を物語る証人です。

久原遺跡

この白磁や青磁は、海の道むなかた館で展示しています。ぜひ見に来てください。

(文化財職員・坂本雄介)

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このページに関する問い合わせ先

教育部 世界遺産課
場所:海の道むなかた館
電話番号:0940-62-2600
ファクス番号:0940-62-2601