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時間旅行ムナカタ第9回幻の宗像郷土館前編

更新日:2021年7月28日

 郷土文化

郷土文化学習交流施設の先駆け

市では現在、郷土文化学習交流施設の来春オープンに向けて準備を進めていますが、実は今から73年前、この交流施設の先駈けともいえる、郷土資料の収蔵展示をしていた「宗像郷土館」と呼ばれる施設がありました。

今では幻となった「宗像郷土館」。建設の経緯や廃館の原因など、今回から3回に分けて紹介します。

宗像の名を知らしめた田中幸夫先生

1932(昭和7)年、宗像高等女学校(現在の宗像高等学校)に国史の教師として着任された田中幸夫さん。田中先生は教壇に立つ傍ら、宗像を中心に郷土の遺跡調査や研究によって、学問上で宗像の名を世間に大きく知らしめた人です。

田中先生は、著作22冊をはじめ100稿以上の雑誌執筆論考があるなど、とても研究熱心な人でした。鐘崎(上八=こうじょう)貝塚や田熊石畑遺跡、福津市の津屋崎古墳群も、田中先生が発見した遺跡です。多くの歴史学者や考古学者との交流もあったようで、田中先生の人柄を察することもできます。

481人の賛同者建設費は約1・7億円

宗像郷土館宗像郷土館の建設には田中先生の尽力を抜きに語ることはできません。郷土館の収蔵資料は、田中先生が将来の宗像を担う人たちの一助になればと、郷土教育資料として授業の傍ら集めた多くの資料が基礎になっています。そして、この貴重な資料を保存しようと、宗像高等女学校や後援会を中心に郷土館建設の機運が高まったといわれています。

郷土館建設までを記録した「宗像郷土館日記抄」によると、田中先生は宗像の名所を案内した「宗像の旅」を刊行し、売上金を郷土館建設のために宗像高等女学校へ寄付しました。

また、田中先生は多くの場所を訪問し、建設の寄付をお願いしています。その結果、郷土館建設には宗像大社や宮地嶽神社をはじめ、県内はもちろん、東京や大阪、海外からも481人の賛同者を得ることができ、多額の寄付金が集められました。建設費用は3万2964円、現在の金額に換算すると約1億7000万円に相当します。

構想から2年 九州屈指の郷土館

田中先生が収集した資料と賛同者の寄付金によって当時の宗像高等女学校内、現在の田熊石畑遺跡内に建設されたのが、宗像初の歴史資料館「宗像郷土館」です。

郷土館は、構想から2年後の1938(昭和13)年に完成。建物は鉄筋コンクリート造りで、1500点余りの資料を収蔵し、県内外をはじめ多くの人が参加して落成式が盛大に開かれ、記念誌「胷形(むなかた)」も発刊されました。

開館後は、当時の権威ある学者たちが東京や京都から郷土館へ来ていたことからも、郷土館が九州屈指のものであったことを物語っています。しかし、残念ながら郷土館の運営は長続きせず、開館から10年余りで廃館となってしまいました。

田中先生をはじめ、当時の人々の熱い思いが詰まった宗像郷土館はなぜ廃館になってしまったのでしょうか。そこには、戦後の混乱やさまざまな原因があったようです。

【次回、中編へつづく】
(文化財職員・山田広幸)

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